山の自然が変貌し、崩壊する!!

 

―全国の山域で深刻化する二ホンジカの被害―

                

 

(はじめに)

 

  60歳半ばで仕事から離れ、久しぶりに全国各地の山々を訪ねて、山の様相が大きく変貌していることを実感している。

 

学生時代によく通った南アルプスを、数年間かけて北岳から聖岳まで全山を縦走した。かつて、聖岳直下の聖平の一帯は、ニッコウキスゲの咲き乱れるお花畑であったが、シカの食害により、今は見る影もないほど荒廃している。三伏峠の高山植物群落も、シカ防護柵の中で辛うじて存続している。仙丈ケ岳の馬ノ背付近では、登山道の両側に防護柵が設置され、その中を登山者が歩く場所も出現している。北岳では希少植物であるキタダケソウを守るため、カゴ柵も設置されている。南アルプス最大の荒川岳直下のお花畑も、食害の危機にさらされている。

 

 南アルプスは、わが国における最も南に位置する高山植物の分布となっており、雪が消えた後に次々とお花畑が出現して、訪れる登山者を楽しませてきた。ここでは多様な高山植群落から、マルバダケブキやバイケイソウなど、シカが食べるのを嫌う植物が増加して、生態系の単純化が進んでいる。高山植物の消失は、高山蝶やライチョウなどの野生動物にも影響を与えることになる。

 

関係する行政機関、山岳団体、ボランティア団体などにより、緊急避難的に防護柵の設置や植生復元などの保全活動が行われているが、シカの食害は拡大する一方である。最近、環境省も仙丈ケ岳付近で、銃による捕獲を開始したが、厳しい自然条件の中で苦戦している模様である。

 

 

(全国各地のニホンジカの現状と対策)

 

1970年代までは、山域でシカに遭遇することは稀であったが、80年代以降急速に増加を始め、近年、登山中に目撃することも多くなってきた。シカの被害は、知床半島、阿寒などの北海道東部からはじまり全道に拡大しているほか、東北地方の降雪量の少ない太平洋側、日光、尾瀬、秩父多摩甲斐、南アルプスなどの山岳地、大台ケ原を中心とする紀伊半島、四国剣山系、九州霧島山系、さらに屋久島に至るまで、全国各地の山域で発生している。

 

尾瀬や奥日光では、湿原を守るためにフェンスが設置され、日光白根山では、シカの食害で消失したシラネアオイの群落を復元する活動も行われている。奥秩父の甲武信ヶ岳の登山道沿いでは、マルバダケブキと馬酔木の群落が繁茂しており、奥多摩の山々では、ササが食べられて林床が明るくなり、異様なほどに見通しが良くなっている。

 

丹沢山系では、登山者の休憩しているすぐ脇で、シカが採食をしている光景が当たり前になっている。北海道では、シカの放牧場ではないかと勘違いするほど、シカが群れで移動している。

 

 シカ被害については、里地・里山の農作物やスギ、ヒノキの植林地など、農林業への被害も大きな問題となっている。近年、これらの低山帯から、高山・亜高山帯に生息域を拡大しているのが大きな特徴である。いわゆる「シカの山登り」が常体化している。

 

環境省の調査によると、14年度現在、全国の6割の地域で分布が確認され、78年度と比べて分布域は、36年間で約2.5倍に拡大している。11年度現在の生息数は、約325万頭と推計されており、20年前と比べると約7倍の増加となっている。

 

生息数の増加の主な要因として、次のような点が指摘されているが、どれも人間の経済的、社会的活動が大きく関わっている。

 

①戦後の拡大造林政策でエサ場が増加したこと

 

②山村の過疎化と里地・里山域での耕作放棄地が増加したこと

 

③暖冬により積雪量が減少したこと

 

④狩猟従事者の減少と高齢化(銃猟は減少、わな猟は増加傾向)

 

⑤天敵(オオカミ)がいないこと

 

環境、農林水産省両省は、23年度までにシカの個体数を半減させる目標を掲げているが、山域における厳しい自然条件の下での捕獲の拡大は容易ではない。

 

 すでに次のような被害対策が、各地で実施されている。

 

 ①緊急対策として、シカ防護柵を設置すること

 

 ②長期的に、個体数管理(捕獲)を進めること

 

 ③シカ捕獲の専門家(ハンター)を養成すること

 

 ④捕獲したシカを有効活用(食肉利用)すること 

 

 

(山域におけるシカの被害対策の重要性・緊急性)

 

 シカの被害は、山域の優れた生物多様性を守り、持続可能な利用を進めるうえで、放置できない深刻な問題となっている。全国32国立公園のうち、20の公園でシカの生態系被害が発生している状況である。国定公園である剣山・三嶺では、ササなどの採食による土壌浸食、丹沢・大山ではブナ林域の林床植生の劣化も発生している。

 

 シカによる生態系の被害として、下層植生の衰退、希少植物の消失、森林の衰退、土壌浸食などが挙げられる。さらに、生態系の単純化、風景の変化なども生じている。

 

 山岳団体の関係者も各地で情報交換を行い、被害対策の重要性・緊急性について、世論の喚起に努めてきた。また、「山の野生鳥獣目撃レポート」のホームページを開設して、シカの動向に関する情報収集を行なってきた。

 

シカ被害の進行の深刻さに鑑み、行政機関、研究者、ハンター、山岳団体などが協働して、日本各地の山域でシカ被害対策を促進できないか検討しているところである。

                      (2017.1.3  森 孝順)